2017年10月2日月曜日

ブラック企業とはその1

こんばんは、こうちゃんです。

本ブログの二大テーマのひとつである、

ブラック企業とは

を解説します。
内容が濃ゆい上にあまりに多いので、数回に分けていきます。

まずは、代表的な定義として、wikipedia参照してご紹介。

ブラック企業(ブラックきぎょう)またはブラック会社(ブラックがいしゃ)とは、広義としては暴力団などの反社会的団体との繋がりを持つなど違法行為を常態化させた会社を指し、狭義には新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業を指す。英語圏でのスウェットショップ(英: Sweatshop)(英語版記事)や中国語圏での血汗工場(中: 血汗工廠)(中国語版記事)の問題とはまた異なり、ブラック企業問題の被害の対象は主に正社員であったのだが、2013年に中京大学教授・大内裕和が提唱した、非正規労働者が被害者となるブラックバイトという派生語も登場している。対義語はホワイト企業。

将来設計が立たない賃金(貧困、ワーキングプア)で私生活が崩壊するような長時間労働を強い、なおかつ若者を「使い捨て」るところに「ブラック」といわれるゆえんがある。

ブラック企業は突如として現れたのではなく、日本型雇用が変容する過程で台頭してきた。従来の日本型雇用においては、単身赴任や長時間労働にみられる企業の強大な指揮命令が労働者に課される一方で、年功賃金や長期雇用、企業福祉が保障されてきた。しかし、ブラック企業では見かえりとしての長期雇用保障や手厚い企業福祉がないにもかかわらず指揮命令の強さが残っており、それによって若者の使いつぶすような働かせ方が可能となっている。

企業側が指揮命令をする際に何のルールも課されない状態、すなわち「労使関係の喪失状態」にあるとする指摘がある。

1991年のバブル景気崩壊・失われた20年の始まり以降、企業の経営体制は「なるべく無駄を省く」として「コスト削減」に比重を置いてきた。そうしたことからブルーカラー・ホワイトカラーや正規・非正規雇用を問わず、末端の従業員に過重な心身の負担や極端な長時間の労働など劣悪な労働環境での勤務を強いて改善しない企業を指すようになっている。すなわち、入社を勧められない企業、早期の転職が推奨されるような体質の企業がブラック企業と総称される。

定義としてはこのような感じです。

従業員の扱いや待遇の問題とは別に、事業所の周辺環境や地元への環境・経済面への配慮・貢献、消費者のニーズ・アフターケアに対する考慮が薄い企業や、サービスと質が劣悪である場合、債務超過の場合または産業構造の転換によって斜陽産業となり創造的破壊もなされずゾンビ企業化している場合、または利益のために悪徳商法(詐欺、ボッタクリなど)や脱税(所得隠し)をいとわない企業もまた、ブラック企業と呼ばれることがある。

少なくとも以下の要件が当てはまればブラック企業と呼称される(2点以上あてはまる企業も存在しうる)。

・企業および経営者の負うべき責任を明確にしていない場合(組織的に責任を免れようとする企業)
・コンプライアンス(CSR)の精神が欠如した企業
・従業員の過労や公害病などの被害者(およびその親族)からの訴訟と責任(損害賠償など)を免れる企業
・末端の従業員(平社員、アルバイト、パート)および待遇を軽視している企業
・消費者(エンドユーザー)や地域への貢献度が低い企業(商品・サービスの質に劣る)
・悪徳商法をいとわない企業

ブラック企業の定義も合わせて考えて、シンプルに要約してしまえば、

・労働基準法をはじめとする、各種法令を守っていない
・労働者の待遇が劣悪
・仕事の内容が社会的な道義に反している

などですね。

ブラック企業とは、と語っていたら、
もちろんその100くらいまでいってしまいそうですが、
そこはまた、このブログのテーマのひとつの、
ブラック企業あるあるとしてエピソードを語っていけばよいですので、
ここではまずは、読者の方に、定義や、実情だけ伝わればよいかなと。


最後に由来や、言葉が流行した背景なども


言葉の由来には求人広告業界の隠語や、パソコン通信時代のネットワークコミュニティからなど諸説ある。なお2008年には書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』が出版され、翌2009年に映画化、2013年には「ブラック企業」が新語・流行語大賞を受賞し、NPO法人POSSE代表で一橋大学大学院生の今野晴貴が授賞式に出席した。

ブラック企業には、その業種に対する経験・知識が全くない者や、中卒・高校中退など学歴の低い者でも勤まるような労働集約型産業的な体質の企業が多く、そういう意味ではとにかく多くの人手を必要としているため、正規・非正規雇用のいずれにしても一般的な企業に比べて入社は比較的容易であり内定・採用も早い。だが、裏を返せば労働集約的な体質の企業においてそれは「代わりはいくらでも入ってくる」ということであり、末端の従業員とは(短期間での離職を前提とした)使い捨ての消耗品も同然の存在でしかなく、常に新人を募集し続けている。入社後には厳しいノルマや長時間労働、サービス残業などの一方的な企業利益を求められ、人のやりたがらない仕事・割に合わない仕事や理不尽な仕打ち、不可解な人事考課、手柄の横取り、低賃金などに苦しめられ、やがて肉体・精神ともに疲弊し破綻をきたし、最後には企業にとっては用済みの人材として自己都合退職に追い込まれる。平均勤続年数が短い上に短期間での離職率も高く、ハローワークや求人誌・求人サイト・新聞の求人広告/採用広告の“常連”と化し多額の広告費を人材募集に費やすなど、人員計画や従業員マネジメントがなおざりにされたいわゆる「人の出入りが激しい」企業体質であることを自ら露呈していることも多い。

ブラック企業が社会的に認知されだしたのはここ10年ほどのようですが、
まあ、昔からこんな体質の企業はあったのでしょうね。
ただ、前の定義にもありましたが、
激務だからブラック、というわけでもなく、
あくまで、その激務に対して給与が支払われていない(当然法律違反)、
苦労、過酷な労働に対して、見返り(長期の安定雇用など)がない、
など、近年あまりに企業のモラルが低下してきたためにこの言葉が流行、認知されたのでしょうね。

そもそもそんな会社が存在していていいのか?
労基という一応の監督署があるにも関わらず、まったく仕事していなくていいのか、
と疑問はたくさん尽きませんが、
こんな会社が蔓延しているのが日本の実情なのですね。

なんだか、こんな現実を知ってしまうと働くことが悲しくなってきますね。


こうちゃん